シェフの清水秀樹です。
世の中には、多くの料理レシピが文字どうり溢れかえっています。 しかし、そのレシピが産まれた思考過程について、語られることはありません。
その料理の考え方を理解できれば、レシピは無限に産めます。 自分自身の整理を兼ねて、あまり語られることのない、
レシピが産まれる思考過程を公開してみようと思います。
No.1[野草のオルゴナイト]
ある時、師匠から頂いたお題。
「野草だけでなんか作ってみろ」
野草を使い続けているけど、
いまひとつ踏み込みきれていなかった中途半端さを、
彼は見抜いたのか、おっきなテーマをもらった。正直、とても困惑した。
野草はハーブという立ち位置でやって来て、
主役を張るには厳しいと思っていたから。
野草フレンチをはじめてからずっと悩んでいたことは、
どこまで野草を使うか?
キワモノではなく、誰が食べても美味しいし、
見て美しいものにしなくては、お店の料理にはならない。
でも、じつはお題をもらうしばらく前から、イメージだけは降りて来ていた。
それが、この野草のオルゴナイトだった。
子供の頃、海外で育った時。 ペーパーウエィトでいろんなガラス細工を見て来た。 子供心に、綺麗で見とれ続けたのを鮮明に覚えている。
野草がまるで目の前で生きているように見れたら、何か感じてもらえないかな?
ジュレ(ゼリー)で美しく固めたら、きっと綺麗だと思う。 なによりも自分がドキドキするな。 輝く前菜。
そんなイメージがあったけど、野草のゼリー寄せなんて、受け入れられるだろうか?
そっちの恐怖の方が大き過ぎた。
野草は正直、まだきわものに近い。
喜んで食べるのは、昔人か愛好家が主体だ。
それを現代高級フランス料理に昇華させるのは、
きわめてチャレンジングなことだ。
地元の農家さんに、「草じゃんねー。摘んでどうするんだ?」と
言われた時の気持ちが蘇る。
何作か野草を使った野菜料理でお茶を濁した。 でも、野草はとっても自然に、季節の移り変わりで立ち去ってゆく。 秋も終盤。
すでにお茶濁しに付き合って来くれる存在感のある、
限りなく野菜に近い野草はすべて眠りについた。
いよいよ追い込まれた時、ひらめいたことがある。
フレンチではジュレのベースはコンソメのスープが主流。 正直、コンソメで野草を包み込むと、
野草の草感とマッチしないように思っていた。
これを野草のブイヨン(出汁)にして見たらどうだろうか?
我々の営むお店は標高1,000mを超える場所にある。
この高度から「ナギナタコウジュ」という高山系の野草が育つ。
寒冷を好むこの野草は、北海道に多く自生し、
アイヌの方が薬草として使うそう。
独特の爽やかな香りがすてきで、
うちでは野草茶として、サービスすることをしていた。
きっとこれに塩をいれれば、スープとしてもいける。 野草茶は、すなわち料理からみれば、野草のブイヨンなんだ。
さて、野草はどうするか? 生のままか?火をいれるか?
実は、火を適切にいれたものは、とても美しい。
野菜も野草も。
地味この上ない野草がとても色鮮やかになり、きらめきを纏う。
また、食べやすい。咀嚼しすい。
現代人、特に日本人は自分も含め、やわらかいものをとても好む。
野草のハードルをさげるのが、
この前菜のもうひとつの目的だから、今回は茹でることにしよう。
ここまで考えてきたが、でもひとつ足りない気がする。 おいしさを組み立てるものがひとつ足りない。
僕は料理を開発する時、味を立体視する。
美味しいは、構造で表現されるものだ、というのが持論。
今の段階で、この料理は風味、味覚は問題ないけれど食べ応えが足りない。
そこで思いついたのが、スペルト小麦という古代小麦。 9000年以上前から食べられている小麦。
原種ではないけれど、改良の程度も浅く、現代でも手に入る。
野菜と野草の中間をイメージさせてくれる、
材料的にも味覚的にも「つなぎ」の役割を果たしてくれるもの。
最後に考えるは、ソース。
ソースがいるのか、いらないのか?
見た目からも、飽きさせない工夫からも、今回はソースが必要と判断した。
野草の味を消し過ぎず、しかし野草のみの味覚空間を一時的に壊して、
リフレッシュさせるものを寄り添わせよう。
そう考えた。
色的には、緑がより引き立つもの。
そこで、オレンジ色と黄色の中間になる、
人参のドレッシングを採用。
これで設計は終了である。
しかし改良は終わりなく続く。 野草は入れ替わり、状態も変化する。 その時の野草と相談しながら、微調整を繰り返すことになる。
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