私たちの住む農村には、様々な資産がある。
といっても、それは株とか債権ではなく、実のなる果樹たちだ。
その昔、自宅を立てる際には、庭に実のなる木を植えるのが常識だったらしい。現に私の実家を立てた富山出身の建築家の祖父は、柿、桃、梅を植えて、毎年のようにいくばくかの収穫が食卓を賑わせていたものだ。
次男の同級生のお家には、栗の木がある。
昨年からそれを拾わせていただくことになり、栗拾いが私たちの秋の始まりの儀式?となった。
東京育ちのインドア派の軟弱シェフの私には、栗の収穫自体が未体験。
栗のイガがいかに鋭く、痛いものか!
軍手なぞで不要に掴むのは、危険極まりないことに、昨年やっとした有様である。
「靴で踏んで割れ」という妻の指導も虚しく、割れないイガを、痛い痛い騒ぎながら手も使って割り、中の栗を取り出す作業はなかなかに重労働。
その最中にも、自然にはぜて頭上から落ちてくる実もあり、周囲は意外に騒がしい。栗拾いは不思議な趣のある時間でもある。
この栗の木自然栽培というか、放置されているので、無農薬無肥料栽培であると同時に、虫さんたちのご馳走でもある。
栗というものが、なんと虫の害の多いものか、ご存知だろうか?
昨年までの自分も含め、知らない人がとても多いことだろうと想像する。
収穫後、洗い水気を取り、これから冷凍して中の虫さんたちに逝っていただき、そこから干してみて熟成を試みる。
ネットで調べた手順では「干して熟成後、冷凍する」とあったので、昨年はそれで試してみた。
が、虫さんたちに存分に頂かれてしまい、散々な目にあったので、やり方を変えてみようと思う。
果たしてどうなるだろうか?
食材としては、市販の栗よりも一手間もふた手間もかかる厄介者だが、自然の中にもう一度いれてもらおうとする自分にとっては、この手間こそが、学びの時間であり、回帰の儀式
なのだと思う。
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